貨幣資料館 大和銀行ってあったな〜

江戸時代の貨幣制度

 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、翌年、貨幣制度の統一に着手し、慶長金銀貨を発行しました。そののち銅貨(銭)についても、三大将軍家光の時代に「寛永通宝」を発行して流通貨幣の統一を図りました。

 一方、17世紀の始めに、伊勢山田地方の商人の信用に基づいた紙幣があらわれ、やがて各藩でも、領内で通用する藩札(紙幣)が発行されるようになりました。この藩札は、財政赤字の補填などの目的で発行され、幕府貨幣との引き換えを原則としていました。こうして幕府による金・銀・銭(銅)からなる三貨制度と、各藩における紙幣の分散発行が併存するという、江戸時代独特の弊制が出来上がりました。

貨幣の改鋳

 元禄・宝永期(1688年〜1711年)に入ると、幕府は、経済の発達などに伴う貨幣素材の不足や財政事情の悪化に対処し、金銀貨の質を落とす改鋳を行いました。その後も今日の金融政策にも似た貨幣の発行量の増減を図るなど、改鋳をたびたび実施しています。  19世紀に入ると財政補填のため出目(差益)を生み出す目的で、貨幣の量目や品位を落とす悪鋳を重ねたので幕末頃には激しいインフレを招きました。

「円」の誕生

 明治新政府は、当初通貨制度を整備するまでのゆとりがなかったので、幕藩時代の金銀銭貨や藩札をそのまま通用させる一方、自らも「両」単位の貨幣・紙幣を発行しました。このため各種通貨間の交換比率が非常に複雑になり、また偽造貨幣も横行するなど通貨制度はきわめて混乱しました。  そこで新政府は、貨幣制度を根本的に改正することとし、明治4年(1871年)「新貨条例」を制定し単位を「両」から「円」に改め10進法を採用するとともに、金1.5gを1円とした金貨をつくり、これを原貨としました。もっとも外国との貿易用に貿易銀として1円銀貨を通用させたので、実質的には金銀複本位制とみることもできます。

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